2015年 09月 15日
医療コミュニケーション患者さんの語り 問診とディベート |
先日より、『六角式ディベート』というものを学んでいます。
debate(討論)というと悪い印象を持つ方もいると思うのですがdialog(対話・会談・意見交換)やnegotiation(対話・交渉・折衝)という複数の言葉の印象を私は六角式ディベートに当てています。
なぜならそこには、分け隔てぶつかり合う印象よりも、結び輪になる印象の方が強いからです。
そこで何を学んでいるのか・・・。
ですが、一言で言うと「言霊」でしょうか。
「言葉が持つ印象」、それが「言霊」だと私は認識しています。
言葉の立体化つまりリアリティのある言葉です。
我々、医療従事者は日々、患者さんとコミュニケーションしています。
患者さんの語る「痛み」は私のイメージする「痛み」と同一か、といった場合、決して同一ではないのです。
ヴィトゲンシュタインの「痛みの分析」で書かれている「痛み」はこのことを表現しています。
以前に書いたヴィトゲンシュタインの「痛み」の個人的経験および感覚与件はこちら
視覚と触覚について日々学んでいると、言葉にも視覚と触覚が存在することに気づかされます。
それはいわゆる「共感覚」と呼ばれるものです。
例えば「痛い」という言葉。
このままだとなんだか、平面的でリアリティはわきません。
そこにもう少し具体性と先ほど話した視覚的な要素と触覚的な要素を加えていきます。
具体性として大きく痛みを二つに大別してみます「鋭利な痛み」と「重い痛み」
触覚的な表現へと変えると、「刺された痛み」「つねられた痛み」「押された痛み」「乗っかっているような痛み」
視覚的な表現に変えると、「稲妻が走ったような痛み」と「暗く重く覆い被さったような痛み」
なんだかリアリティのある痛みに変わっていきました。
言葉をいろんな角度から見てみることで「形」になりました。
患者さんの抱える痛みを理解するには、言葉で語る痛みに対して、いろんな角度から問いかけることで「患者さんの痛みの具現化」になります。
共感覚表現は本来的に、言語表現の隙間を埋め、知覚体験にあたっての正確さの追求を目指すものと考えるべきではないだろうか。
以前に書いた共感覚と知覚の現象学についてのブログはこちら
つまり必要なのは「質問力」我々の言葉で言うと「問診」です。
質問を投げかけ、患者さんの語りを平面的な言葉から立体的な言葉へと誘導します。
問診の上手な先生というのは、質問が鋭く、的確に患者さんの病態へと近づいていきます。
六角式ディベートではこの質問をする役割を「風」と表現しています。
風は海に浮かぶヨットに対して進む方向や早さを決める、これはまさしく、「問診」の技術によって患者さんを導くことと同じです。
適切な質問は、患者さんの病態や苦悩の中心へとより早く察することができ、さらには開放への道へと進む方向を導くのです。
そんなわけで、六角式ディベートで対話を学んでいます。
ご興味ある方はご連絡いただければご紹介致します。
苦悩を抱える患者様、そして支える治療家のお役に立てれば幸いです。
東京都港区芝5-27-5山田ビル503
03-6435-2437
にしむら治療院 西村 公典
参考文献
debate(討論)というと悪い印象を持つ方もいると思うのですがdialog(対話・会談・意見交換)やnegotiation(対話・交渉・折衝)という複数の言葉の印象を私は六角式ディベートに当てています。
なぜならそこには、分け隔てぶつかり合う印象よりも、結び輪になる印象の方が強いからです。
そこで何を学んでいるのか・・・。
ですが、一言で言うと「言霊」でしょうか。
「言葉が持つ印象」、それが「言霊」だと私は認識しています。
言葉の立体化つまりリアリティのある言葉です。
我々、医療従事者は日々、患者さんとコミュニケーションしています。
患者さんの語る「痛み」は私のイメージする「痛み」と同一か、といった場合、決して同一ではないのです。
ヴィトゲンシュタインの「痛みの分析」で書かれている「痛み」はこのことを表現しています。
以前に書いたヴィトゲンシュタインの「痛み」の個人的経験および感覚与件はこちら
視覚と触覚について日々学んでいると、言葉にも視覚と触覚が存在することに気づかされます。
それはいわゆる「共感覚」と呼ばれるものです。
例えば「痛い」という言葉。
このままだとなんだか、平面的でリアリティはわきません。
そこにもう少し具体性と先ほど話した視覚的な要素と触覚的な要素を加えていきます。
具体性として大きく痛みを二つに大別してみます「鋭利な痛み」と「重い痛み」
触覚的な表現へと変えると、「刺された痛み」「つねられた痛み」「押された痛み」「乗っかっているような痛み」
視覚的な表現に変えると、「稲妻が走ったような痛み」と「暗く重く覆い被さったような痛み」
なんだかリアリティのある痛みに変わっていきました。
言葉をいろんな角度から見てみることで「形」になりました。
患者さんの抱える痛みを理解するには、言葉で語る痛みに対して、いろんな角度から問いかけることで「患者さんの痛みの具現化」になります。
共感覚表現は本来的に、言語表現の隙間を埋め、知覚体験にあたっての正確さの追求を目指すものと考えるべきではないだろうか。
以前に書いた共感覚と知覚の現象学についてのブログはこちら
つまり必要なのは「質問力」我々の言葉で言うと「問診」です。
質問を投げかけ、患者さんの語りを平面的な言葉から立体的な言葉へと誘導します。
問診の上手な先生というのは、質問が鋭く、的確に患者さんの病態へと近づいていきます。
六角式ディベートではこの質問をする役割を「風」と表現しています。
風は海に浮かぶヨットに対して進む方向や早さを決める、これはまさしく、「問診」の技術によって患者さんを導くことと同じです。
適切な質問は、患者さんの病態や苦悩の中心へとより早く察することができ、さらには開放への道へと進む方向を導くのです。
そんなわけで、六角式ディベートで対話を学んでいます。
ご興味ある方はご連絡いただければご紹介致します。
苦悩を抱える患者様、そして支える治療家のお役に立てれば幸いです。
東京都港区芝5-27-5山田ビル503
03-6435-2437
にしむら治療院 西村 公典
参考文献
ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン
法政大学出版局
売り上げランキング: 387,803
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by kosuke-n
| 2015-09-15 21:11
| 哲学