2012年 05月 12日
検査について考える |
今年度もモーションパルペーションの勉強会が始まり、また一から学びなおし、去年より無駄を省いていけたらと考えています。
早くも五年目を迎え、なぜまだbasicに参加するのかと言われる。
それはまだ求めている感覚に到達していないから、無駄が多い、そしてセンスがない分量でカバーする。
しかし、四年も経過すると昔抱いていた疑問点に対して自分なりの答えができてきたと感じています。
検査法を学び続ける理由だが、「患者の理解」につきます。
診察は結局のところ、施術者側の勝手な考えでしかない。
自分はずっと視覚について勉強してきたせいか、「脳が作り上げた世界」ということをよく考えます。
視覚はほとんどがでたらめで勝手に作り上げられた世界である。
特に意識に上るものはあいまいである。
それと同じで診察によって自分が描いた患者さんの状態、患者像というのは、実際の患者さんとは違うことがよくあります。
自分が考える状態と、実際の患者さんの状態を近づける行為が診察だと思っています。
第一回の勉強会を受けていた時に、どこかで誰かのつぶやきが聞こえました。
「なぜ弱い力で検査するのか」自分も当初疑問に思っていた。
弱い方がいいのだろうということはわかるが、人になぜと聞かれると答えられない。
しかし、最近自分なりに答えは出ています。
検査は患者さんの状態を計るもの、患者さんから発している異常を察すること、自分から探しに行ってはならない。
患者さんが無意識に発している体のシグナルは強い力では受け取ることはできない。あくまでも受動的な検査が大切であるのではないでしょうか。
そして患者さんの主訴の部分からも考えるひつようがあります。
患者さんの主訴は一体何だろうか?「押されて痛い」が主訴だろうか?それならば押すことが患者さんの主訴に対して近づく行為になります。
実際の主訴で多いのは何だろうか。
「動かすと痛い」「動かない」「寝てると痛い」痛み以外で考えていても、どこからかの外力に対して症状を訴えていることは無いに等しいほどだと思います。
不定愁訴などは明らかに押すことでは何も分かりません。
スポーツの分野では外力に対しての反応もあるのでそれはそれで対処しなくてはならないが、一般に来られる患者さんにはその人が自立して行動しているときに症状が出現します。
であれば、検査はその人のありのままの状態を診る必要があるのではないか、と考えることが出来ます。
極力外からの刺激を加えずにシグナルを受け取る。だから「検査は弱い力で行う必要がある」と自分の中の答えになっています。
ここまで来るとモーションパルペーションという枠を超えている気もするが、私自身それを学べる場がMPSGにあると実感しています。
Basicの5年目はみるところ私だけのようです。五年目にしてこの程度かとつくづくセンスのなさを感じるが、年々少しは患者さんに近づいていることを実感しています。
この一年でどこまでわかるようになるのか楽しみです。
週末二回目があるが頑張りたいと思います
早くも五年目を迎え、なぜまだbasicに参加するのかと言われる。
それはまだ求めている感覚に到達していないから、無駄が多い、そしてセンスがない分量でカバーする。
しかし、四年も経過すると昔抱いていた疑問点に対して自分なりの答えができてきたと感じています。
検査法を学び続ける理由だが、「患者の理解」につきます。
診察は結局のところ、施術者側の勝手な考えでしかない。
自分はずっと視覚について勉強してきたせいか、「脳が作り上げた世界」ということをよく考えます。
視覚はほとんどがでたらめで勝手に作り上げられた世界である。
特に意識に上るものはあいまいである。
それと同じで診察によって自分が描いた患者さんの状態、患者像というのは、実際の患者さんとは違うことがよくあります。
自分が考える状態と、実際の患者さんの状態を近づける行為が診察だと思っています。
第一回の勉強会を受けていた時に、どこかで誰かのつぶやきが聞こえました。
「なぜ弱い力で検査するのか」自分も当初疑問に思っていた。
弱い方がいいのだろうということはわかるが、人になぜと聞かれると答えられない。
しかし、最近自分なりに答えは出ています。
検査は患者さんの状態を計るもの、患者さんから発している異常を察すること、自分から探しに行ってはならない。
患者さんが無意識に発している体のシグナルは強い力では受け取ることはできない。あくまでも受動的な検査が大切であるのではないでしょうか。
そして患者さんの主訴の部分からも考えるひつようがあります。
患者さんの主訴は一体何だろうか?「押されて痛い」が主訴だろうか?それならば押すことが患者さんの主訴に対して近づく行為になります。
実際の主訴で多いのは何だろうか。
「動かすと痛い」「動かない」「寝てると痛い」痛み以外で考えていても、どこからかの外力に対して症状を訴えていることは無いに等しいほどだと思います。
不定愁訴などは明らかに押すことでは何も分かりません。
スポーツの分野では外力に対しての反応もあるのでそれはそれで対処しなくてはならないが、一般に来られる患者さんにはその人が自立して行動しているときに症状が出現します。
であれば、検査はその人のありのままの状態を診る必要があるのではないか、と考えることが出来ます。
極力外からの刺激を加えずにシグナルを受け取る。だから「検査は弱い力で行う必要がある」と自分の中の答えになっています。
ここまで来るとモーションパルペーションという枠を超えている気もするが、私自身それを学べる場がMPSGにあると実感しています。
Basicの5年目はみるところ私だけのようです。五年目にしてこの程度かとつくづくセンスのなさを感じるが、年々少しは患者さんに近づいていることを実感しています。
この一年でどこまでわかるようになるのか楽しみです。
週末二回目があるが頑張りたいと思います
by kosuke-n
| 2012-05-12 08:19
| 徒手医学