2012年 11月 12日
「痛み」の定義 疼痛学の歴史 |
患者の主訴の把握はとても大切なことで、どのような治療や説明を期待しているかも把握することは必要です。
慢性疼痛を抱えている患者さんの中には、体の不調となる心当たりは何かありますかと伺うと、足を捻ったあたりからではないか、や食べ過ぎ飲み過ぎの後に不調になるなど、患者さん自身に思い当たる節があることはよくあります。
その問診ポイントは重要で、主訴から離れている部位であっても意外な主訴への変化を出すことがよくあります。
前回の「しびれ」やこの「主訴から離れた部位の効果」を理解する一つの施術方法としてトリガーポイントは学んでいく必要が出てきます。
トリガーポイントについて研究している先生は「痛み」の研究をしている先生が多いのは、このような主訴の痛みと他の部位の異常との関連から「痛み」というものへの理解が増すということが関係しているのではないでしょうか。
針治療では個人的にもトリガーポイントは使用していて、今もトリガーポイントを見つける作業の練習を心がけています。
学んでみるとやはり「痛み」についての理解からスタートするのは特徴ではないかと感じています。
「痛み」についての考え方の歴史はとても重要です。
BC4C頃、アリストテレスは「痛み」を五感に含めませんでした。
彼の著書「De partibus animalium 動物部分論」では、「感覚」の起源は心臓にある。知覚の波が血管に沿って心臓に伝わるが、それが激しいとき「痛いという情緒」が生じると説明しています。
17Cにデカルトとは異なり、スピノザは、情動としての痛みをとらえ、悲嘆と憂鬱を痛みがもつある種の特性としてとらえています。
スピノザは一元論的な人間理解を主張していて、「精神」と「身体」は、人間というひとつのものをそれぞれ別の側面から見た場合にすぎない。
痛いと思う気持ちと、痛みという感覚とは、どちらも身体が傷ついたという同じ現象に対する反応の、別の現れ方なのであると説明しています。
そのあとデカルトにより、大きく痛みや身体についての考えは変化をしてきます。
「心身二元論」を押し進め、身体を機械として扱う思想を根付かせました。
「身体機械論」により、痛みが科学的に捉えられるようになりました。
1641年に著した「省察 Meditationes de prima philosophia」の中で幻肢痛について記載しています。
彼の死後に出版された「人間論 De Homine (Treatise of Man)」では、痛みの「反射」の概念を説明されています。
19Cにはノーベル生理学.医学賞も受賞したシェリントンは「侵害受容」という概念を提唱しました。
デルマトームをマップしたのもこのシェリントンです。
このときから痛みは情動ではなく、感覚であると認識されるようになりました。
そして1979年に国際疼痛学会にて「痛み」に対する定義が生まれました
An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage.
「痛みは、実質的または潜在的な組織損傷に結びつく、あるいはこのような損傷を表わす言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験である」
現代では、痛みを抱える患者さんに対する認知行動療法なる統合的なフォローが大切であると考えられ、痛みの多層モデルという風に考えられてきています。
患者さんが抱える苦痛に対してどのようにサポートしていくかはこの多層モデルが認識され始めたようにいろんな方法があることがわかってきます。
その方法を選ぶためにも、問診などから主訴と、患者さんの意思の確認をしなければならなりません。
慢性疼痛を抱えている患者さんの中には、体の不調となる心当たりは何かありますかと伺うと、足を捻ったあたりからではないか、や食べ過ぎ飲み過ぎの後に不調になるなど、患者さん自身に思い当たる節があることはよくあります。
その問診ポイントは重要で、主訴から離れている部位であっても意外な主訴への変化を出すことがよくあります。
前回の「しびれ」やこの「主訴から離れた部位の効果」を理解する一つの施術方法としてトリガーポイントは学んでいく必要が出てきます。
トリガーポイントについて研究している先生は「痛み」の研究をしている先生が多いのは、このような主訴の痛みと他の部位の異常との関連から「痛み」というものへの理解が増すということが関係しているのではないでしょうか。
針治療では個人的にもトリガーポイントは使用していて、今もトリガーポイントを見つける作業の練習を心がけています。
学んでみるとやはり「痛み」についての理解からスタートするのは特徴ではないかと感じています。
「痛み」についての考え方の歴史はとても重要です。
BC4C頃、アリストテレスは「痛み」を五感に含めませんでした。
彼の著書「De partibus animalium 動物部分論」では、「感覚」の起源は心臓にある。知覚の波が血管に沿って心臓に伝わるが、それが激しいとき「痛いという情緒」が生じると説明しています。
17Cにデカルトとは異なり、スピノザは、情動としての痛みをとらえ、悲嘆と憂鬱を痛みがもつある種の特性としてとらえています。
スピノザは一元論的な人間理解を主張していて、「精神」と「身体」は、人間というひとつのものをそれぞれ別の側面から見た場合にすぎない。
痛いと思う気持ちと、痛みという感覚とは、どちらも身体が傷ついたという同じ現象に対する反応の、別の現れ方なのであると説明しています。
そのあとデカルトにより、大きく痛みや身体についての考えは変化をしてきます。
「心身二元論」を押し進め、身体を機械として扱う思想を根付かせました。
「身体機械論」により、痛みが科学的に捉えられるようになりました。
1641年に著した「省察 Meditationes de prima philosophia」の中で幻肢痛について記載しています。
彼の死後に出版された「人間論 De Homine (Treatise of Man)」では、痛みの「反射」の概念を説明されています。
19Cにはノーベル生理学.医学賞も受賞したシェリントンは「侵害受容」という概念を提唱しました。
デルマトームをマップしたのもこのシェリントンです。
このときから痛みは情動ではなく、感覚であると認識されるようになりました。
そして1979年に国際疼痛学会にて「痛み」に対する定義が生まれました
An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage.
「痛みは、実質的または潜在的な組織損傷に結びつく、あるいはこのような損傷を表わす言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験である」
現代では、痛みを抱える患者さんに対する認知行動療法なる統合的なフォローが大切であると考えられ、痛みの多層モデルという風に考えられてきています。
患者さんが抱える苦痛に対してどのようにサポートしていくかはこの多層モデルが認識され始めたようにいろんな方法があることがわかってきます。
その方法を選ぶためにも、問診などから主訴と、患者さんの意思の確認をしなければならなりません。
by kosuke-n
| 2012-11-12 16:27
| 解剖学